蝶々夫人再び

2005年7月9日(土)新国立劇場 15時開演 ※スタッフ・キャストは6月30日と同じ

こないだの蝶々さんがあまりにも良かったのでリピートしてしまいました。仕事も途中で放っぽって行ったのに・・・おかげで日曜日も出勤するはめに(T_T)。が、この日はピンカートンが1幕目から絶不調。あきらかに体調が悪く、声も途中でとぎれるわ演技もできないわ・・・もう散々な有様でした。おまけにピンカートンに合わせてかオケのピッチも妙に低く、蝶々登場シーンの美しい増3和音のハーモニーもメタメタ。おかげで1幕のキモである浮遊感、高揚感というものが台無し。プッチーニ、特に「蝶々夫人」でピッチ下げてはいけません(ヴェルディならありかも)。半端に下げるくらいなら半音下に移調すべきです!なんてね(笑)しかしこんなハプニングに備えての柔軟な対応力もオペラハウスの楽団には望んでしまうんですが・・・。まあ、正式なおかかえ楽団もないし、難しいですよね。そんな変なピッチと成り立ってない二重唱で1幕は阿鼻叫喚、音のカオス状態で幕を閉じました。
2幕からはピッチも正常に戻り、スズキのソロが霞が晴れたようにクリアに聞こえた時には「あーよかった!」と心から安心しました。小柄なスズキの中杉知子さん、この人の滅私奉公的な女中ぶりは絶対外国人では出せない味です。素晴らしいサポートぶりでした。残念ながら声楽的には見せ場の少ない役ですが、しっとりとした蝶々さんとの二重唱は素敵でした。是非他の公演でもこの二人の組み合わせで見たいです。
そして大村さんの蝶々。1幕は遠慮がちで声もくぐもり、こないだ聞いた中音域のふくよかさがイマイチ・・・で本当に心配してしまったんですが、2幕はよかった〜〜(涙)!!2幕がはじまるとすぐ「ある晴れた日に」の見せ場ですが、彼女の場合このアリアも劇の上での必然の範囲という感じでこなされるんですね。この人がどれだけドラマを大事にしてるかということを感じました。ゴロー、山鳥を裁いたあとのシャープレスとの絡みの演技も良かったです。「愛しい坊や」の感情がマックスの歌唱と演技はもう言わずもがな。またまたドッと泣けてしまいました。
今回シャープレスと蝶々さんとは何か色気のある親密な演出でした。このクラウディオ・オテッリ、雰囲気いいし、いっそ坊やのお父さんになってほしいタイプです。あの地球儀みたいなピンカートンより絶対カッコいいんだけど。私が蝶々さんなら迷わずシャープレスにいきますね(向こうが嫌がるかもですが)。
2幕最後、ピンカートンが3年ぶりに帰って来るシーンですが、やはりヒュー・スミスは不調でした。いや、まさかあの状態でまた出てくるとは・・・代役がいなかったんでしょうか。「怖くて蝶々さんに会えない、僕は逃げる。よろしく!」というシーンでシャープレスに「もう私に任せて行け(怒)!」と言われるところで「そうそう、あなたは早く帰って寝なさい」と思った人は私だけじゃないハズ。やっぱり「亭主元気で留守がいい」ですよね(笑)。
やっぱりまた考えてしまったのが蝶々さんの自決シーンです。舞台後方に星条旗が旗めいているのですが、それに向かって自害するんですね。蝶々さんと星条旗の間には白い花嫁衣裳の上に赤い花があり、まるで日の丸のようなんですが、ホントに日の丸弁当の梅干くらいのPicciol punto(小さな点)な感じの日の丸・・・。蝶々さんは息子に自分の死を悟られたくないのですよね。なのに、最後息子に見られてしまうという演出。蝶々さんの最後のはかない望みもかなえられなかったし、幼い子供にとって一生の心の傷が残ってしまう、これほど残酷なこともありません。大国が小国に行うことは情け容赦ない、本当に残酷なことなんだってメッセージが感じられました。重ーーーーいラストです・・・。
この日は、歌手が大崩れしたのを初めて見て、ある意味良い経験でした。お客さんも彼が体調が悪そうなのが分かっていたようで、ブーイングも出ないし、カーテンコールではねぎらいの拍手が送られていました。本当にライブならではのことですね。
それからそれから・・・やっぱり蝶々夫人の音楽は素晴らしい!特に間奏。あれはときたまフランス風に聞こえたり(ショーソンの「詩曲」に聞こえてならない個所が・・・。)、エキゾチックであったり、もうねぇ、なんとも言えない味わいぶかさがあるんですね。なんか蝶々にもはまりそうな予感。