新国「蝶々夫人」
2005年6月30日(木)新国立劇場 19時開演
- 作曲 : ジャコモ・プッチーニ
- 台本 : ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ
- 指揮 : レナート・パルンボ
- 演出 : 栗山民也
- 美術 : 島次郎 /衣裳 : 前田文子/照明 : 勝柴次朗/舞台監督 : 大澤 裕
- 合唱指揮 : 三澤洋史 /合唱 : 新国立劇場合唱団
- 管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト
- 蝶々夫人 : 大村博美
- ピンカートン : ヒュー・スミス
- シャープレス : クラウディオ・オテッリ
- スズキ : 中杉知子
- ゴロー : 大野光彦
- ボンゾ : 志村文彦
- 神官 : 大森一英
- ヤマドリ : 工藤 博
- ケート : 前田祐佳
- 書記 : 柴田啓介
正直「蝶々さん」て見てて気持ちの良いものではないんですよね(日本女性ならお分かりになると思いますが・・・)。ですから私の中で蝶々さんは「聴くオペラ」ということになっていて、生を見たのは今日が初めてです。仕事後にオペラを見て、電車に揺られて疲れ果て、家に着くまで感動が残っている公演というのは年に何度も無いことですが、今日は余韻に浸りまくりながら家路につきました。ほーんとに素晴らしい舞台でした。
何が素晴らしかったって、やっぱり蝶々さんの大村博美さん。以前新国で「カルメン」のミカエラを見て、素晴らしい歌手だと思っていたんですが、今日はもう想像以上。私の「日本人で一番好きな歌手」は「大村博美」と決まった日です。最初の第一声から涙腺を直撃されたというのはグルベローヴァ、コッソットに続いて大村さんが私史上3人目。昨今の体格も声量も恵まれた外国人歌手と一線を画した自然な発声で、あのソプラノ殺しの蝶々さんを見事に歌いきってました。「あんな声どうしたら出るの」じゃなくて、ちゃんと声の道の見える自然な歌い方なんですよね。日本人ソプラノのお手本のような発声です。スピントなのに押しの強すぎない、そしてけして乱れない歌唱はまるでテバルディのよう。それに完全に蝶々さんを自分のものにしていて、 相当このために準備をしたんだろうなぁという真摯さにも感動してしまいました。
大村さんの蝶々は可愛らしくも芯が強く、誇り高い女性という感じ。そんな蝶々さんと比べるとピンカートンは軽薄な遊び人というより、ただの「器のちっちゃい男」に映りましたね。ですから不思議と「あいつサイテー!」という風にならないピンカートンでした。
蝶々さんの少女から女へ、そして母へという変化も見事でした。考えさせられたのは最期の自決シーン。ピンカートンは現われず、子供が見てしまうという演出でした。ピンカートンの眼前で自害するのではないので「あてつけ自殺」ではないんですね。もうピンカートンのことなど頭にない、母の蝶々さんなんです。「ピンカートンが帰って来る!」と花嫁衣裳を着、部屋中に花を撒いて彼の帰りを待つ蝶々さんはまだ女だったのですが、あの2幕の長い間奏の間に蝶々さんは女から母になっていくのです。いやー、味わい深い間奏でした。
舞台はチェンジもない、とてもシンプルなものでしたがとても美しい舞台でした。よくある日本みたいな国、じゃなく、純然たる日本のマダムバタフライで安心して楽しめましたし、くどいけど蝶々さんは素晴らしかったし(涙)あー、もうほんとに良かった(^^)
まだいろいろ書きたいこともあるけど、今日は寝てしまおう・・・