帝劇 レ・ミゼラブル

2005年5月1日(日) 12時開演 帝国劇場

どうもオペラ座の怪人以降フランス史に興味があって何だかんだと調べてると、フランス史というと階級闘争というくらい、フランス革命以降、共和制−王政の繰り返し(実は現在もその延長線といった感じみたいです)。本当にフランスが落ち着くのには革命以降半世紀以上かかったようです。血を血で洗うような長い闘争の末にオペラ座ムーラン・ルージュなどのパリ文化爛熟期が来るわけですね。
レミゼ」のドラマの核になっているのは1830年七月革命以降のパリ市内の暴動。一時王権に返り咲いたブルボン家を打倒し、ルイ・フィリップを「国民王」とする立憲君主制七月王政)の時期でした。実際のところ七月革命の主導はブルジョワ層だったので、貧しい庶民はいつまでたっても貧しいまま。そんな訳で1830年代には何度も大きな暴動が起きていたようです。ちなみにジャン・バルジャン自身は「岩窟王」モンテクリスト伯と同年代だったりします。この頃はあまりにも簡単に人が長期刑に服させられていたのですね。
そんな訳で「レ・ミゼラブル」という話はメチャクチャ重たい。人生観が変わると言っても過言ではありません。キリスト教的な絶対主義、アジア的な相対主義、そんなものが代わる代わる頭の中に去来して、いろいろなことを考えさせられます。
このレミゼ、ストーリー展開がめちゃくちゃ速く、バルジャンが銀食器を盗んで改心するまでの所要時間はものの1分程度。まあそれはいいんだけど、やっぱり私が一番見たい「バルジャンのお百度参り」をやってくれないのですね(涙)。ガッカリだ〜〜〜 ←実は勝手にそれを期待して行った。やっぱりバルジャンはコゼットの父で終わってしまうのでした。
音楽は「ヘブライ風・・・?」と思うところが多かったです。冒頭の石切り場の合唱やリトルコゼットの歌、その他も半音階的でエキゾティックなメロディが多いので、何となくそう思いました。それから、以前「ミスサイゴン」を見たときにも感じたんですが、どうもこの手の女性陣の歌い方があまり好きになれないみたい。劇団四季の「歌のお姉さん」唱法と全く違い、宝塚の娘役の「裏声省エネ唱法」とも違い、純然たる「ポップス歌唱」とでもいうんでしょうか?中音部ではなかなか感情が乗って良いんですが、高音部で歌声が響きのない叫び声に変わるのは耳障りに感じます。日本語で歌い上げるのって難しいんだろうなぁと思いますが、でも上手い人は上手いからなぁ・・。
主役の今井清隆は、やはりオーラが他の人の数倍出てます。歌も惚れ惚れするくらい上手いです。やっぱり全ての役柄をこのレベルで見たいというのは贅沢すぎるのでしょうか。歌唱表現と演技がかみ合ってるのはさすがというところ。それから、このレミゼではジャベール氏は二枚目役なんですね。私のイメージではバルジャンを追うしかない可哀想なおっさんだからちょっとギャップありでした。でも、鈴木綜馬の男前ぶりはついつい目で追いかけてしまいました。あと、森公美子ってやっぱり凄いですね。だみ声と時にクラシカルな裏声を使い分け(声量も多分あるんだろうけど、マイクを通すと分からないから残念)、動きも敏捷だし・・・彼女が出てくるとやっぱり「持っていかれ」ますね。
あと残念なのが全般の雰囲気がアジアの壁を越えていないこと。衣装を着けても雰囲気や立ち居振る舞いが日本人なので、私的には何かが物足りないんです。マリウスもロマンスに欠けるし、革命の闘士達もヒロイズムに酔いしれる感が欠けてます。自己犠牲の象徴といったエポニーヌもなんか淡白に死んでいくし、泣けるところで泣けなくてちょっと残念。子役のガヴローシュはなかなか体当たりな演技で、もちろん荒いんですけど、ぐっとくるものがありました。
見ごたえある大作ではありましたが、なんかすこし私のツボから外れていたかなという気がします。今度はドラマ的なミュージカルじゃなく、ダンスが入ったものとか見てみようかな?