フェルツマンリサイタル

2005年4月26日(火) 19:00開演 王子ホール
ピアノ:ウラディーミル・フェルツマン
プログラム

フェルツマンのリサイタルです。先日の「皇帝」で期待が宇宙的広がりになってしまったせいか、ちょっと拍子抜け。いえ、決して悪かったと言う訳ではありません。このバッハ・パルティータ、ショパンのバラードというのはピアノを学ぶ人の必須曲目といったもので、昨今のステージピアニストの基準から言えば超難曲の部類ではないと思います。ただ、バラード4曲一気に弾けてしまう50代ってすごいと思いますね。
まずバッハの二曲ですが、まず会場とピアノがバッハ向きなのかどうなのかちょっと謎でした。深く良く響く会場にまたよく鳴るスタインウェイで、ちょっと鳴らしただけでビヨーーーンと残響が残ってしまってました。これはちょっとバッハ向きじゃないよねぇ・・なんて思ったり。まあ、それはさておき氏の演奏ですが、ピアノの先生方をうならすようなアカデミックな部分もあれば、「あれ?今のルール破りじゃない?」みたいなのがバラバラ見受けられたり、勉強になるのかならないのかよく分からないバッハでした。どうせルール破りなら「これが俺流」くらいのバッハであってもいいと思うんですけども。まあ、そこまで破天荒でもなく、正統派でもなく・・・どうもその辺の匙加減がよく分からず、頭をひねりながら休憩へ。←いや、でも本当に上手い人なんです。
そして後半のショパン。うーん、このおじさんは先日あのロマンティックなシューマンのアンコールを弾いた人なんだろか。個人的には「何はなくともセンチメンタル」というショパンが好みなのですが、このおじさんは「センチメンタルなんて感情は20年前に置いて来てしまったよ」とでも言わんばかり。1番から3番はまるで前菜のようにあっさりとこなされてしまいました。でも・・そんなショパンって・・・(涙)と悲しくなってきましたが、4番は私の一番好きなピアノ曲であるので、これだけは頼みますよ〜!という気持ちで臨んでしまいました。しかしその心配は無用、やっぱりその一曲には特別な想いがあるのか、素晴らしかったです。前半の耽美な部分はストイックに音量をキープした左手(凄すぎるテクニック)にルバートを制限した右手。後半は超体育会系の曲ですが、アクセルかける場所もメチャクチャ早く、パワフルでもちゃんとメロディラインは聞かせて弾ききってました。しかし、聴いててどうもスタニスラフ・ブーニンのバラード4番とかぶってしまったのです。しかも好きで何度も聴いてたショパンコンクールライブの・・。バラード4番のロシアン・メソッドかなにか、そういうものがあるのかと思ってしまいました。いみじくも一緒に行った人が「この人は今でもコンクールのファイナルに残る」と言ってましたが、確かに20代の若者に匹敵するパワーもあるし、意図的にクセをなくそうとする弾き方といい、コンクール勝者的な演奏だったような。バッハとショパンという組合せもコンクールの予選っぽいし。
ロシアン・メソッドというと、この人はモスクワ音楽院でヤーコフ・フリエール門下生としてピアノを学んだ人ですが、私の大好きなピアニスト、ベラ・ダヴィドヴィチと同門ってことになるんですよね。ダヴィドヴィチはもう80代なので年代はずいぶん違いますが。実はそれもあってフェルツマンに興味があったんです。あの硬質・クリアな音を聴くと、確かにダヴィドヴィチを彷彿とさせるものもあるんですけど、ショパン解釈においては全然違うみたい。彼女は私の中では紛れもない「ショパン弾き」なんですけど、フェルツマン氏はショパン弾きとは違いますね。
しかしねー、どうもこの晩はこのおじさんの「試み」に付き合わされた感が否めないんですよ。この人はまだまだ引き出しのたくさんあるピアニストなのにあえてそれを出してない。「ロマンスもセンチメンタルもあるけど、今日はホテルに置いて来た」ってノリじゃないの?テクニックがあって何でも出来る演奏家にかぎって「試み」をやりたがる傾向があるんですよね(特にロシア人。偏見ご容赦)。ですから「以前聴いた演奏とは別人!」みたいなことがままあるんです。それで頭をひねりつつも、一旦素晴らしい演奏を聴いてしまうとまたその音に出会うまで、永遠にその人のコンサートに出かけてしまう・・・・だからロシア人ははまったら怖ろしいのです・・・こんな纏めで良いのだろうか・・・?