づる天、紀宮さま

昨日、ブックオフにて「日出処の天子」(通称:づる天)の文庫版が出ていて、何とはなしに買ってみました。全7巻。1〜6巻を夜中の2時まで一気に読み耽り、今朝残りの1巻を読破。読後の印象を一言で言うと、「山岸涼子は天才である!」に尽きます。山岸涼子といえば昔「アラベスク」を読んでバレエおよびロシアへの憧れに目がハートになった少女時代を思い出しますが・・・(と書くとすごい年長者と思われそう・・)お目々くりくりのかわいいヒロインと、ハンサムな先生との師弟愛で婦女子の心を鷲掴みにしただけでなく、「真の芸術とは」「真の天才とは」など、なんとも難しいテーマにあっさり答を出してくれるのです。この「づる天」でも、主人公の厩戸王子(聖徳太子)が遭遇したり自ら起こしたりする超常現象について、クールな王子が明快に答を出すし、神仏についてや、人間、性について、普通簡単に語られないようなこともさらっと答を出すのです。それから、伏線として出てくる小話もものすごく後になって辻褄があったりして、よくある長編連載の行き当たりばったり的なところがなく、実に見事。

私が幼少期夢中になった漫画はサクセスストーリーが多いのですが、全部山岸涼子の「アラベスク」に似ています。有吉京子の「SWAN」というバレエ漫画も相当はまりましたが、これはもろに「アラベスク」からアイディアを得てます(ついでに言うと「エースをねらえ!」も入っていますね)。おそらく当初長編になると想定していなかったのかもしれませんが、山岸涼子から自由になるのには時間がかかったのでしょう。「アラベスク」の主人公は様々な悩みや困難を解決しながら、先生に導かれつつ王道を通って芸術を極めていこうとしていきます。ただし、山岸的な袋小路も用意されていますが、本当にこれは山岸「アラベスク」の中で光る話なんですよね。
「SWAN」の場合もバレエを題材とする限り、芸術道を極めていくストーリーにならざるを得ませんが、山岸の袋小路まで頂戴してしまっている感があります。主人公が精神的なストレスで体に異常をきたし、それを乗り越えていくなんていうのは、手を出すべき領域であったか疑問です。後半は「SWAN」の独自世界にたどり着けても、そこでは哀しいかなキャラクターが死んでしまっています。単に自分の理想を体現する「描線」になってしまっているんですね。そうはいっても個人的に「SWAN」は大好きなんですけどね。
今回、「づる天」を読んでみて、はっと思ったのが「ガラスの仮面」です。これは30年くらい続いている漫画、というかもう作者に完結させるのが不可能な漫画になってしまっているのですが、これもひょっとして作者の美内すずえ山岸涼子の影に取りつかれているのでは・・・と思ってみたりして。演劇界史上、不朽の名作といわれる「紅天女」をめぐってマヤと亜弓さんが延々とライバル対決をしているのですが、どうも「紅天女」という芝居に関して当初から構想がきちんと練られてなかったのではと思うんですね。不朽の名作と何十年も煽り続けた結果、読者の期待は宇宙的な広がりになってしまっています。それからマヤと亜弓、いまや両者ともキャラクターの魅力が薄れてしまい、どちらも応援する気になれないんです。これも「SWAN」と同じくキャラクターが殺されてしまったような気がします。そうはいっても大ファンなので41巻まで持っているんですが、(今のところ)最終巻の41巻で、いきなりマヤと後見人の真澄が幽体離脱起こして魂同士が抱き合うんです。これにはビックリしました。「づる天」ならありえる話でも、「ガラスの仮面」ではいきなりすぎます。そこまで話が飛ぶと付け焼刃で話を収めることはまず無理でしょう。天女の話と「づる天」の魑魅魍魎の話は共通すると思うけど、あれは勉強しようと思ったらひたすら泥沼にはまる世界だし、書けるのは作者のセンスの問題であり、けして踏み入れるべき世界ではなかったの思います。美内すずえもひょっとして「づる天」の亡霊にさいなまれているのではないかと思うのです。
ごたごた書いてしまったけど、要するに、早く次を書いて・・・待ってるの(涙)

さて、話は変わりますが、本日紀宮さまと黒田さんの婚約会見がありました。黒田さんは、もうちょっと何かしたらきっと素敵な方ではないかと思うけどなぁ。あのデカいレンズのめがねはちょっとねぇ。紀宮さまのグリーンのスーツ、真珠のネックレスとブローチはとても清楚で美しいと思いました。プリンセスとして銀の匙でもって育った方の品の良さがにじみ出てましたね。それに今時、あれほど美しい日本語を話す方も珍しいですね。ずっと聞いていたいような会見でした。
最近、ちまたのインタビューなどで、まともに日本語を話せている日本人がいないのに驚いています。たとえばシャンプーとかの、インタビュー式のCMなどで話している人も、「○○使ってから髪がツヤツヤになったねとかって言われたりー、うん・・・」でしょ。話し手が文章を完結させず、聞き手に類推させるんですね。それから街頭インタビューでもちゃんと語尾まで文章として成り立った言葉を話せている人がほとんどいませんね。確かに日本語は何とか書けても、リアルタイムでアイディアを言葉に翻訳し話すというのが難しい言語とは思います。が、昔の人はもっとまともに話をしていましたよね。如何に現代人の知能レベルが下がっているかという証明にもなりますね。と偉そうな私は・・・いきなり意見を求められた場合、ちゃんと話せるのかな?